06.14.16:38
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02.12.01:47
正確には自堕落生活タイム。
凄いです。一日中FFしてました。蜻蛉です。 あの湖の名シーンも終わり、少なくとも中盤くらいには入ってきたかなー、と思っている感じです。何せプレイ時間が24時間を越えたので、そろそろそのくらいでもいいと思う。 物語の感想はクリア後にするとして、今回はシステムの感想でも。 ・レベルアップの楽しみが微妙 スフィアシステムはある意味画期的だと思うけれど、レベルアップしないのは、自分が今どの程度の強さにいるのかが分からないから辛いです。 スフィアシステムは、いわゆる陣取り型のステータスアップシステムなんですが、長所を上げるならば、ステータスがカスタマイズ可能なこと。特にキマリなんかは中央付近にいるので、ステータスがどこにでもいけそう。 ・装備品を変える必要性が微妙 何せ攻撃力補正がないので、アビリティ変化だけなんです装備が。 オートヘイストみたいのあったらそりゃ意地でもつけますが、攻撃力UPなんかはなくてもいいし、強いて言うなら「ブラインド」と「サイレント」付与くらいですか。 まあ防具だけに関して言えば色々抵抗つくので良いんですが。 ・雑魚敵マジつええ これは良い点。 4発食らったら大抵死にますね。ダンジョンが長い場所なんかでは、道具も回復魔法もかなり厳しい状況に追い込まれることも。武器に金を費やさなければ問題ないですが、何せ敵強い。 ・ボスもマジつええ 今、シーモア二戦目(雪山)で死んだんですが、なんという初見殺し。即死ってなんすか先生。 ちょっとあんまり勝てる気がしないので、戦略練るしかないです。 という戦闘が結構何度もありました。結局はヘイスト×3で乗り切るパターンですが、最近のボスはディスペル使ってきやがってマジうざくさいです。あれどうやって勝つんだろう。 大抵のボス戦パターン。 リュック「盗む」→ティーダ「ヘイスト」を自分に→キマリ「ライブラ」→リュックをユウナ、もしくはアーロンにして補助、攻撃→ティーダ「ヘイスト」→・・・・・・。 これを崩されたらちょっとばかし戦略が考えつかないです僕。 ヘイストなしってのもありか・・・いやないな。 ・レアエンカウントは楽しい 何せ敵が巨大サイズだとテンション上がる。 ロマンだ!ロマンが出てきたぞ! とはいえ、やっぱ強いっす。石化攻撃で殺すのは若干チートなので最近自重してるんですが、最悪石化で殺します。もちろん盗むもの盗んでから。 というわけで、あと三日か四日くらいでクリアしたいものです。でないと、色々作業が手に付かん。ゲーマーにゲームやらせたら一日10時間くらいは余裕で食ってしまうのが嫌なところ。 ■そんな僕の家で彼は 友人が今更「テイルズオブジアビス」やってます。 二週目セーブデータなので、強いです。なのでずっとマニアでやらせてます。アンノウンにするとステータス上勝ちが遠いのでやめてますが。 グローリーが全員ついたようなので、レベル60台前後でマニアモード闘技場ゲストパーティ戦に戦ってもらおうと思います。 闘技場がいかに鬼畜なのかをちょっと説明でも。 相手パーティ。 リッド(エターニア)、フィリア(デステニー)、ナナリー(デステニー2)、ミント(ファンタジア)。 ・リッドのうざさ 何せマニアモードなので、攻撃力がハンパじゃありません。コンボ食らったら大抵即死。 マニアのみで、HPが少なくなってくると、雷神双破斬と閃空衝裂破が増えます。 そんでもって、相手パーティがリッド一人になると、極光壁→相手パーティ全員復活という鬼畜技を使ってきます。 さらにはライフボトルを一つ持っているのもうざいです。ただし、本物の戦いがしたい方は、必ずリッドを最後に倒すようにして、このイベント起こしましょう。 ・フィリアのうざさ 戦闘では真っ先に倒さないといけません。何せ魔法係りなので、後衛がとにかく殺されるからです。 こいつは「ボムレイン」がほとんど即死技。HP7000あっても生きれるか分かりません。ばかなの。しぬの。しぬよ。大抵殴ってるとボムにやられて死にます。でも殴らないと負けます。 秘奥義のビックバンは言わずもがなの高威力。 さらには、「ストップフロウ(タイムストップ」に「レイズデッド(復活)」まで使ってくる始末。やはりなんとしても最初に潰さないといけないです。 ・ナナリーのうざさ 大抵はほうっておきますが、こいつのせいで知らぬうちに後衛がやられてます。 一見地味に見える弓矢も食らってみれば、一撃でHP半分くらい削ってくるうぜえ奴です。 さらには第二の魔法係であり、「ライフボトル」も一つ持って、なぜか「アワーグラス(タイムストップ」まで持っているという地味さ。結局うざいです。 ちなみに魔法の「ネガティブゲイト」はモロ食らいすると即死します。 ・ミントのうざさ 補助係なので先に倒したいところですが、AIが多少優しく、HP回復技は自重されてるようで、放っておいても大丈夫です。たまに「リザレクション(大回復」うってきますが、諦めます。 あとは攻撃力UPや防御UP。そして「タイムストップ」に「レイズデッド」持ち。 フィリア撃破後は即倒したいですが、こちらのスキルが整っていないと、大抵レイズデッド唱えられてやりなおし食らいます。 あと、ピコハンの威力が異常。「ぴこっ♪」ってレベルのダメージじゃないです。 おさらいと同時に、大抵面白い闘技場のパターン。 フィリア撃破→ミントレイズデッドによりフィリア復活→フィリア撃破→ミント撃破→ナナリーライフボトルによりフィリア復活→フィリアレイズデッドによりミント復活→フィリア撃破→ミント撃破→ナナリー撃破→リッドライフボトルによりフィリア復活(ここを止めないと、勝ちが遠ざかる)→(ry→ナナリー撃破→リッドの極光壁により、全員復活→全員撃破 書いてみて分かった。 むちゃむちゃ大変じゃんこれ。 コメレス。 >爺さん お勧めは今のところないですね。皮肉にも山田裕介セレクションにでも手を出して、知人に殴られてみようかな、と思ってるくらいには手を出しないです。 強いて言うなら高橋勝彦の竜の柩はお勧めしましたっけ。歴史系小説はアレしか読んだことないので、思いで深いです。 メガテン3は「マニアクス」をやってほしいんですが、マニアクスはレア度が高く、ほかゲームについてきた特典で手に入れるのが現在もっとも安いので、っていうか俺が貸します。スパロボ返すついでにゴシカンに渡しておきます。 やるんであれば、メガテン初見でいきなりハードでやってほしいです。きっと楽しい。 スパロボKは一応情報程度には知ってますけれど、どうなんですかねあれは。何せZの登場作品が普通に分からなかったので、手を出しにくいですねー。 PR
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02.11.00:08
満腹絶倒。
すき家のお好み牛玉丼マジうめえ!!蜻蛉です。 からしマヨネーズはジャスティス。でも、お好み焼きには普通のマヨネーズがいいと思う。 やはりですね、マヨラーには(まだなりたてだけど)悩むところがあるんですよ。何せ自分はからしマヨネーズがダイスキなもので、毎回マヨネーズにするかからしマヨネーズにするか・・・。 どうでもいいですね。 今日はこの時間からまだ遊ぶらしいので、ちょいと短めで。 ■テレビゲーム系 友人から借りたFF10を今更プレイしております。本当に今更ですね。 とりあえず昨日、10にちなんで10時間くらいプレイしてみました。とても眠くなりました。 今回のFFで思うのは、とりあえず戦闘マジきつい。下手すると先制攻撃で死ぬ。 まあただ、メガテン3をプレイしてきた自分からして特別恐ろしいことでもないのが恐ろしい。 何せメガテンは、 ・バックアタック=ゲームオーバー ・先制攻撃=瀕死 ・弱点、耐性を整えないとまず戦闘できないクラスに戦えない まあ後半になるにつれ楽にはなっていきますが、どうにも序盤で積みます。 というのを体験しているので、まあFF10の戦闘はいいでしょう。 あと思うのは、テイルズ以上に物語パートが長いっす。別に苦じゃないですけれど。 曰く結構感動するらしいので、期待してプレイしていきたいと思いますです。 ※追記 石化攻撃鬼畜すぎクソワロタ ■小説の件 せめて1500文字をと言ってからここ四日は執筆してないです。 まずいです。 現実逃避にFFやってk(ry ちょっとせめて今日くらいは1500やりますです。 コメレス。 >ガルド yoshiは知ってるけど読んだことないわ。 文体が発症なの?物語じゃなくて? 文体だったら若干ショッキングだけどな。何を考えて文法も日本語も守らないものが出版されたのか・・・。 >ヨツンさん ケータイ小説は文学です。文化です。 ちょっとその内容には紆余曲折する返信を。 ■コメレスの内容。 これは身内間でよく使っているんですが、「理論的」な物語の構成をする人と、「感覚的」な物語の構成をする人がいると私は思ってます。 つまり、あれこれをどうこうのを全部決めて、それに沿って書く人と、考え付いたものをどんどん書いていくタイプの人です。 良し悪しで計るのはちょっとアレですが、強いて言うならばもちろん安定感は前者のほうがあります。物語はブレないだろうし、やる気さえあれば執筆もまあまあ早くなるはず。 前者の欠点はただ一つで、下準備が長いこと。それくらいです。 恐らくその作者様はこの「理論的」なほうに当てはまるのでしょうが、話を聞く限りでは「一話一話」ごとにやっているそうだとか。 それはぶっちゃけて言いまして、最悪です。 そもそも「小説家になろう」の内部での執筆形式を考えて物語を構成しているのは大いなる間違いです。全体を考えて、キャラクターの役割を決めて、そこからは多分誰しも「感覚」だと思ってるので、一話一話ごとにやっていたらそりゃブレますわ。 ここで、持論ではありますが、一つ。 やる気があるのに失敗してかけない人は恐らく2パターンしかないと思います。 考えすぎな人と、まったく考えてない人。 プロットをまったく立てないのは、相当上手い人じゃないと100%失敗します。 ただ、逆にプロットの内容に含まないような部分まで考えようとする人も、気疲れとかその他色々な問題で失敗すると思います。 このどちらかに当てはまっている人は、この当てはまってないほうの人に一度なってみるといいと思います。 つまり、その人には「なんも考えず書いてみ」でいってみます、私なら。 ただし長編だとそうはいかないので、気楽な感じで短編書かせたらいいと思います。 ああ、というか、 「決めて書く、ではなく、考えながら書く」の実践。 そも内容なんて書いてりゃあとからついてきます。 この話で「何をしたいか」と「必ず使いたい台詞、表現」くらいでも決めておけば、あとは流れ作業ですよ。ちょっと満足いかなかったら推敲すればいいだけです。 あと、人に考えを聞くのは悪いことじゃないと思いますよ。 そのせいで更新速度が遅くなってしまうのはアレですが、嫌だったら催促のメールでも送ってあげてください。他人ならば、の話ですが。 自分も更新速度は限りなく遅いほうなので人のこと言えませんが、読者から「早く書けカス」って言われたら絶対急ぎます。 ただ、ヶ月クラスで更新が遅れるのは考えものですね。 速筆というのが小説界では必要だということを考えたほうがいいと思います。遅れて許されるのは、人気のある作家だけです。 なろう平均から言わせていただければ、3日~12日以内に一話更新できれば、まだ読者は逃げずにいてくれるはずです。一ヶ月4回を目標に頑張ってください。と、自分にも言ってみます。 |
02.07.12:53
空腹絶倒(ぁ
まさかの二日連続同じネタです。蜻蛉です。 友人に池袋に呼ばれているのであんまり時間がないと見せかけて、もはやあんまり行く気もありません。だが行く。もうわけわからん。 なろう秘密基地にて「ケータイ小説とはどうあるべきか」に悩んでいるお方がいたのを見かけて、ちょっと書いてみようかな、とか思った次第です。 別になんでもないので乱文になりますが、ご注意くだしあ。 そも、ケータイ小説、というかいわゆる「スイーツ(笑)」が現代の文学であると提唱しているので、ケータイ向け小説を書こうとするスタンスはまさに今に即したと言えると思います。 なので、とにかくまずケータイ小説を嫌わないことを前提でおねがいしますです。 ■本題 ケータイ小説と聞くと大半の人はスイーツを思い浮かべると思いますが、実際は特別スイーツである必要はないです。ただ、「魔法のiランド」に投稿されている、いわゆる「ケータイで読むタイプの小説サイト」に投稿されている作品の多くが恋愛系であり、そうでなくともランキングを占めているのが恋愛のみなので、イメージがそう固着することが別段不思議でもなんでもないです。 ここでは文学であるだとか必要性だとか上手い下手はなしにして、とりあえず「どうあればケータイ小説なのか」ということについて考えてみようかと思います。 ケータイ小説といえば、まず改行がやたらと多いことが初めに上がるでしょう。しかも改行というよりは「空白」と読んだほうがいいような、視覚的スペースが多い。 ケータイという媒体で見る以上、詰め詰めの文字は見にくいだろうと思って作者がやったことなんでしょうが、 いらんだろう別に。 なろうサイトは一応ケータイに対応しているので分かりますが、改行が少なかろうが読めるものは読めます。 じゃああの改行はなんなんだというと、多分雰囲気つくりです。 自分もあの無駄臭い空白を使うことは結構ありますが、何故使うのかというと「ジャンルや需要に見合った書き方」をしようと思った結果です。 たとえば、コメディであれば無駄な空白はあってもいいと思います。別に雰囲気壊さないので。 ただ、内容が文学チック、またはミステリーやガチファンタジーの場合は別。無駄な空白は読者に「未熟さ」を勘ぐらせるような要素が潜んでいるために、ガチ作品は本当に無駄というか、足引っ張るでしょう。 だから、ケータイ小説=無駄な空白があるもの、という認識はまず間違い。媒体がなんであれ、作風にあった改行の仕方が妥当です。 たとえば、純文学小説はあんまり改行というものを行いません。文法が絶対ですし、情景、心理の描写が事細かに書いてあるものもありますので。歴史系の小説なんて改行が滅多に見当たらないくらいです。 しかし、コメディ調のライトノベルはどうだろうと考えると、空白は流石に本なのでありませんが、改行の数は比べてやたらと多いです。句読点がつくたびに改行する作家もいるくらいです。これはもちろん読みやすさ、つまり「ライトさ」を出すための妥当な工夫と言えるだろうと思います。 つまり、空白は作風見て決めてくださいということです。 第二に文章力。 これは自分的には何故悩むのかが理解に苦しみます。 自分にある文章力を出し切らなくて何が小説家かと。 ただし、確かに冷静に考えてみれば「ケータイ向け」として書かれた小説がやたらと改行が少ないのも考えものです。では、ケータイユーザー向けに少し噛み砕けばいいのか?と聞かれると別にそんなことする必要ないです。 考えても見てください。ケータイで読むのが苦なくらいの文章力を持った人がケータイ向けで小説なんか書きません。 自分もまあまあ文章力上がってきたとは思いますが、それでも別にケータイで読んだって読めるレベルです。つまり、文章の形なんてどーでもいいと思います。 あくまで中高生をターゲットに置くのであれば、文章力を落とすことよりも、内容や会話文のノリを良くするだとか、西尾維新や乙一みたいな魅惑的な作品書けばいいと思います。 ■こっちのほうが本題。そもそも「ケータイで小説を書きたい」という動機 謎なのはこの部分。 魔法のiランドに属する、もしくは賞を取ってしまった(?)人たちは、「ケータイで小説を書きたい」と思って書いたわけではないと思います。単純に小説が書きたかっただけだと思います。 じゃあ「ケータイで小説を書きたい」、ちょっと変えて「ケータイ向けに小説を書かなければならない理由」を考えてみたいと思います。 まず敷居がとてつもなく低い点に惹かれる場合ががある。 クリエイターなるもの、自分の作品を人に見てもらいたい気持ちは大きいと思います。 すると、書店に行く必要もなく、ケータイでぴっぽっぱすればすぐに読めるケータイ小説の魅力は非常に高い。加えて書籍化されるものも多く、映画化までいってしまうようなものもあるならば、「じゃあケータイ小説でいいじゃん」という気にならない気もしないでもないです。 現在ネットが発達していっている中、わざわざ紙面にして読ませる必要があるのか、というのは多分文学界でも問題なんでしょう。そう考えると、ある意味では妥当な選択とも言えるかもしれないです。 ただそれを逆に考えると「紙面で読んでこその作品がある」ということにもなるわけで、するとこれは媒体の選択が出来ることになる。すればもう一つの選択肢は「ケータイで読んでこその作品がある」であるべきだと思うわけです。 ここで体験談を一つ。 かの有名な「恋空」を自分も昔に読んだわけですが、あれこそ「ケータイで読むべき作品」です。ただ、悪いいいかたをすると「ケータイでしか読めないだろう」作品とも言えるわけですが。 何せ紙面にすると記号は目につくし文章の粗も目立ち、全体の文面の構図が酷く質素なもので、薄く感じるのが自分の感想です。1ページに織り込まれたストーリーや文章が、見るにも耐えないものに変化しました。 ケータイで読むとそれがそうでもないんです。「本を手に取っている」という意識がないために、ちょっとした「ブログを読んでいる感覚」とも言えるんじゃないかと思います。そういう意識で読むと、ああいう文章が叩かれるものも読めるものになったんじゃないかと。 ただ、じゃあこういうものを「書く」という意識をもって書く理由はなんなのか。 思うに、九割は若年層に向けての作品が書きやすいからだと思います。良い大人がケータイ小説読みますか?と聞かれると、ラノベすら排他している世代がケータイ小説なんぞ読むわけないです。 一応の話をすれば、中高生には本気で受けるとは思います。だから、そういう読者をターゲットにするならば、ケータイ小説ほど有効な手段もない、となると。 ただ心配なことが一つ。 自分はケータイ小説という媒体で、有名な作品にミステリやコメディ、はたまたガチ文学なんか見たこと無いです。それどころか受けそうなファンタジーすらも聴いたことがないです。 アルファポリス大賞で、大賞こそ取れそうですが、知名度を上げる、また「小説家」として地位を築き上げるのは不可能のように思えます。 何がいいたいかというと、あの「ケータイ小説」という畑で小説家になるには、「恋愛もの」を書く選択肢以外にないんじゃないかという心配です。もちろん恋愛を書きたいなら別なんですが。 ファンタジーで売りたいならラノベに行くほうが出世できると思います。文学やりたいなら普通に出版社もっていけばいいと思います。 なろう作品で「地球最後の24時間」という作品が受賞した出来事がありました。 あれほど自分の中で話題になった出来事もなかったですが、世間の話題性といえばもうほとんど0に近いです。出版こそされているものの、売れたのか?という心配ばかり。 作風は恋愛ではありましたが、どちらかというとテーマを詰めた一般に近いものがありました。それでこの結果です。 ちょいとここから持論が入りますが、気にしないでいただけるとありがたい。 「小説を書きたい」という純粋な動機で「ケータイ小説」を媒体として選択するのは、ケータイ小説家として間違ったことではありませんが、「ケータイ小説を書きたい」として「ケータイ小説」を媒体にするのは、正直志の低い選択なんじゃないかと思ってしまいます。 これは微妙な意識の問題ですが、そもそも小説の書ける人間がケータイ小説を選択して書き、その書き方について悩むくらいなら、ライトノベルにでも行けばいいと思うわけです。ある意味では挑戦的とも取れる選択ですが、ケータイ小説に合わせて文体を変え、内容を噛み砕き、話題性の厳しい世界に身を放り込むくらいなら、電撃大賞とかに送ったほうがよほど出世の確立もあるというものです。 だから私は最初に「謎」と言いました。 小説家を志した時点で、ケータイ小説家になることは無茶なんじゃね?と思います。 小説家がケータイ小説を書くのは可能でしょうが、ケータイ小説家はケータイ小説家にしかなれない気がします。 なので、「ケータイ小説とはどうあるべきなのか」と考えた時点で、もうケータイ小説家ではないことになるわけで、果たしてそれで成就できるのか、不安でなりません。 ■ケータイ小説とやらの在りかた ぶっちゃけて言いまして、ちょっとまた変な話題になるんですが、ケータイ小説はマジで「文化」であり「現代の象徴」みたいなものだと思います。 つまりこれは「小説」である前に、ほかの何か、なのかもしれないというのが自分の考えです。 面白くないと批判され文章力はボロボロなのに、これだけ国に浸透して人気が出ているのは、そこに「作品」という意味以外の何かが潜んでいるからだと思うわけです。 ヲタク文化が嫌悪される部分もあるのに国に浸透し人気があるのも同じ感じだと思います。 だから自分は、「ワビ サビ モエ スイーツ」として日本の文化を表して行った方がいいんじゃないかとか変なこと思ってます。 つまりこれは書こうとするものではなく、生まれていくものなんだという認識があったほうが、妥当なんじゃないかと。 それでも書きたいというのならば、■第一項目に注意すればいいんじゃないかと思う次第です。 乱文になり失礼。 遅れながら、池袋いってきます。 |