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鏡に写る我が醜貌 ver.0.11

深海の底では骸骨が嘲笑って、天上の月では兎が餅をついていた――――by蜻蛉
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05.29.22:21

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02.07.12:53

ケータイ小説とやらの在り方

空腹絶倒(ぁ

まさかの二日連続同じネタです。蜻蛉です。

友人に池袋に呼ばれているのであんまり時間がないと見せかけて、もはやあんまり行く気もありません。だが行く。もうわけわからん。


なろう秘密基地にて「ケータイ小説とはどうあるべきか」に悩んでいるお方がいたのを見かけて、ちょっと書いてみようかな、とか思った次第です。

別になんでもないので乱文になりますが、ご注意くだしあ。


そも、ケータイ小説、というかいわゆる「スイーツ(笑)」が現代の文学であると提唱しているので、ケータイ向け小説を書こうとするスタンスはまさに今に即したと言えると思います。
なので、とにかくまずケータイ小説を嫌わないことを前提でおねがいしますです。

■本題

ケータイ小説と聞くと大半の人はスイーツを思い浮かべると思いますが、実際は特別スイーツである必要はないです。ただ、「魔法のiランド」に投稿されている、いわゆる「ケータイで読むタイプの小説サイト」に投稿されている作品の多くが恋愛系であり、そうでなくともランキングを占めているのが恋愛のみなので、イメージがそう固着することが別段不思議でもなんでもないです。

ここでは文学であるだとか必要性だとか上手い下手はなしにして、とりあえず「どうあればケータイ小説なのか」ということについて考えてみようかと思います。


ケータイ小説といえば、まず改行がやたらと多いことが初めに上がるでしょう。しかも改行というよりは「空白」と読んだほうがいいような、視覚的スペースが多い。

ケータイという媒体で見る以上、詰め詰めの文字は見にくいだろうと思って作者がやったことなんでしょうが、
いらんだろう別に。

なろうサイトは一応ケータイに対応しているので分かりますが、改行が少なかろうが読めるものは読めます。
じゃああの改行はなんなんだというと、多分雰囲気つくりです。

自分もあの無駄臭い空白を使うことは結構ありますが、何故使うのかというと「ジャンルや需要に見合った書き方」をしようと思った結果です。
たとえば、コメディであれば無駄な空白はあってもいいと思います。別に雰囲気壊さないので。
ただ、内容が文学チック、またはミステリーやガチファンタジーの場合は別。無駄な空白は読者に「未熟さ」を勘ぐらせるような要素が潜んでいるために、ガチ作品は本当に無駄というか、足引っ張るでしょう。

だから、ケータイ小説=無駄な空白があるもの、という認識はまず間違い。媒体がなんであれ、作風にあった改行の仕方が妥当です。

たとえば、純文学小説はあんまり改行というものを行いません。文法が絶対ですし、情景、心理の描写が事細かに書いてあるものもありますので。歴史系の小説なんて改行が滅多に見当たらないくらいです。
しかし、コメディ調のライトノベルはどうだろうと考えると、空白は流石に本なのでありませんが、改行の数は比べてやたらと多いです。句読点がつくたびに改行する作家もいるくらいです。これはもちろん読みやすさ、つまり「ライトさ」を出すための妥当な工夫と言えるだろうと思います。

つまり、空白は作風見て決めてくださいということです。


第二に文章力。

これは自分的には何故悩むのかが理解に苦しみます。
自分にある文章力を出し切らなくて何が小説家かと。

ただし、確かに冷静に考えてみれば「ケータイ向け」として書かれた小説がやたらと改行が少ないのも考えものです。では、ケータイユーザー向けに少し噛み砕けばいいのか?と聞かれると別にそんなことする必要ないです。

考えても見てください。ケータイで読むのが苦なくらいの文章力を持った人がケータイ向けで小説なんか書きません。
自分もまあまあ文章力上がってきたとは思いますが、それでも別にケータイで読んだって読めるレベルです。つまり、文章の形なんてどーでもいいと思います。

あくまで中高生をターゲットに置くのであれば、文章力を落とすことよりも、内容や会話文のノリを良くするだとか、西尾維新や乙一みたいな魅惑的な作品書けばいいと思います。


■こっちのほうが本題。そもそも「ケータイで小説を書きたい」という動機

謎なのはこの部分。

魔法のiランドに属する、もしくは賞を取ってしまった(?)人たちは、「ケータイで小説を書きたい」と思って書いたわけではないと思います。単純に小説が書きたかっただけだと思います。

じゃあ「ケータイで小説を書きたい」、ちょっと変えて「ケータイ向けに小説を書かなければならない理由」を考えてみたいと思います。

まず敷居がとてつもなく低い点に惹かれる場合ががある。
クリエイターなるもの、自分の作品を人に見てもらいたい気持ちは大きいと思います。
すると、書店に行く必要もなく、ケータイでぴっぽっぱすればすぐに読めるケータイ小説の魅力は非常に高い。加えて書籍化されるものも多く、映画化までいってしまうようなものもあるならば、「じゃあケータイ小説でいいじゃん」という気にならない気もしないでもないです。

現在ネットが発達していっている中、わざわざ紙面にして読ませる必要があるのか、というのは多分文学界でも問題なんでしょう。そう考えると、ある意味では妥当な選択とも言えるかもしれないです。

ただそれを逆に考えると「紙面で読んでこその作品がある」ということにもなるわけで、するとこれは媒体の選択が出来ることになる。すればもう一つの選択肢は「ケータイで読んでこその作品がある」であるべきだと思うわけです。

ここで体験談を一つ。

かの有名な「恋空」を自分も昔に読んだわけですが、あれこそ「ケータイで読むべき作品」です。ただ、悪いいいかたをすると「ケータイでしか読めないだろう」作品とも言えるわけですが。
何せ紙面にすると記号は目につくし文章の粗も目立ち、全体の文面の構図が酷く質素なもので、薄く感じるのが自分の感想です。1ページに織り込まれたストーリーや文章が、見るにも耐えないものに変化しました。
ケータイで読むとそれがそうでもないんです。「本を手に取っている」という意識がないために、ちょっとした「ブログを読んでいる感覚」とも言えるんじゃないかと思います。そういう意識で読むと、ああいう文章が叩かれるものも読めるものになったんじゃないかと。

ただ、じゃあこういうものを「書く」という意識をもって書く理由はなんなのか。

思うに、九割は若年層に向けての作品が書きやすいからだと思います。良い大人がケータイ小説読みますか?と聞かれると、ラノベすら排他している世代がケータイ小説なんぞ読むわけないです。
一応の話をすれば、中高生には本気で受けるとは思います。だから、そういう読者をターゲットにするならば、ケータイ小説ほど有効な手段もない、となると。


ただ心配なことが一つ。

自分はケータイ小説という媒体で、有名な作品にミステリやコメディ、はたまたガチ文学なんか見たこと無いです。それどころか受けそうなファンタジーすらも聴いたことがないです。
アルファポリス大賞で、大賞こそ取れそうですが、知名度を上げる、また「小説家」として地位を築き上げるのは不可能のように思えます。

何がいいたいかというと、あの「ケータイ小説」という畑で小説家になるには、「恋愛もの」を書く選択肢以外にないんじゃないかという心配です。もちろん恋愛を書きたいなら別なんですが。
ファンタジーで売りたいならラノベに行くほうが出世できると思います。文学やりたいなら普通に出版社もっていけばいいと思います。

なろう作品で「地球最後の24時間」という作品が受賞した出来事がありました。
あれほど自分の中で話題になった出来事もなかったですが、世間の話題性といえばもうほとんど0に近いです。出版こそされているものの、売れたのか?という心配ばかり。
作風は恋愛ではありましたが、どちらかというとテーマを詰めた一般に近いものがありました。それでこの結果です。


ちょいとここから持論が入りますが、気にしないでいただけるとありがたい。

「小説を書きたい」という純粋な動機で「ケータイ小説」を媒体として選択するのは、ケータイ小説家として間違ったことではありませんが、「ケータイ小説を書きたい」として「ケータイ小説」を媒体にするのは、正直志の低い選択なんじゃないかと思ってしまいます。

これは微妙な意識の問題ですが、そもそも小説の書ける人間がケータイ小説を選択して書き、その書き方について悩むくらいなら、ライトノベルにでも行けばいいと思うわけです。ある意味では挑戦的とも取れる選択ですが、ケータイ小説に合わせて文体を変え、内容を噛み砕き、話題性の厳しい世界に身を放り込むくらいなら、電撃大賞とかに送ったほうがよほど出世の確立もあるというものです。

だから私は最初に「謎」と言いました。

小説家を志した時点で、ケータイ小説家になることは無茶なんじゃね?と思います。
小説家がケータイ小説を書くのは可能でしょうが、ケータイ小説家はケータイ小説家にしかなれない気がします。

なので、「ケータイ小説とはどうあるべきなのか」と考えた時点で、もうケータイ小説家ではないことになるわけで、果たしてそれで成就できるのか、不安でなりません。


■ケータイ小説とやらの在りかた

ぶっちゃけて言いまして、ちょっとまた変な話題になるんですが、ケータイ小説はマジで「文化」であり「現代の象徴」みたいなものだと思います。

つまりこれは「小説」である前に、ほかの何か、なのかもしれないというのが自分の考えです。
面白くないと批判され文章力はボロボロなのに、これだけ国に浸透して人気が出ているのは、そこに「作品」という意味以外の何かが潜んでいるからだと思うわけです。

ヲタク文化が嫌悪される部分もあるのに国に浸透し人気があるのも同じ感じだと思います。

だから自分は、「ワビ サビ モエ スイーツ」として日本の文化を表して行った方がいいんじゃないかとか変なこと思ってます。

つまりこれは書こうとするものではなく、生まれていくものなんだという認識があったほうが、妥当なんじゃないかと。

それでも書きたいというのならば、■第一項目に注意すればいいんじゃないかと思う次第です。


乱文になり失礼。


遅れながら、池袋いってきます。
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無題

そういえば蜻蛉はYosiって作家を読んだことあるんだっけ?

たしか今のケータイ小説文体の発祥は彼の作品だぞ。調べてないから自信はないが。

  • 2009年02月07日土
  • ガルド
  • 編集

無題

ケータイ小説は小説と認めたくないものです。

私が読んでるなろう作家に、プロットは出来てるのに、一話一話にこの設定の説明をこのキャラにさせるんだとか、よく考えて書かないとグダグダになるんだとか言って悩んで、結局は更新した話に矛盾が出来たりしてすぐに削除して、一人じゃわからないこともあるから他人の知識ももらって聞いて、でも結局は自分が納得する完成度がないから、更新が数ヶ月も止まってる、完全にスランプに陥ってるなろう作家がいるんです。

私はまず自分の力で書けとか言ってるのですが、本人は聞こうとしなくて非常に困ってます。蜻蛉さんなら、もしこういった人を見かけたら、なんと言って立ち直らせますか?

突然すいませんこんな質問。なろう作家にこういう人がいるもので、読者側は何ヶ月も更新止めるよりは、自分の完成度うんぬんよりまずは書いて更新しろって思うんです。

  • 2009年02月10日火
  • ヨツン
  • 編集
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