だんご、大家族♪
やべぇぇぇぇぇ!!ループにはまって抜け出せないんだぜ!蜻蛉です。
クラナド、ニコニコでプレイ動画うpされているらしいので、このだんご大家族で泣ける真相が知りたくてたまりません。や、普通に聞いても涙腺にくる歌ではあると思いますが。
さて、評価依頼を一件終了いたしましてですね、思ったことがあるんですよ。
ファンタジーと学園は実に融合させやすく、それ故に意外に難しい。
異世界ファンタジーとなっても同じでは同じなんですが、これで言いたいのはただ一つ。
日常パートがいかに面白いかが鍵になる。
見せ場を見せなければならないファンタジーを執筆するにおいて、僕ら初心者厨房が一番間違えやすいミステイクが、この日常パートの問題なんですよ。
ファンタジーは戦闘はあるし、敵の陰謀もあるし、主人公とかキャラが暴走しちゃったり見せ所満載じゃないですか。そんなファンタジーで日常をいかに見せられるかがほとんど良作か駄作かの鍵を握っていると思うんですよ。だってファンタジーですもん、戦闘とか面白くて当然ジャン。
つまり、何ら異常の無いキャラの会話でどれだけ読者を面白くさせられるか、ということです。
そこには何かの伏線を張っても良いし、緻密な作戦を練っているシーンでも構いません。
問題は、それが繋ぎになるかどうか。
ここで良い例を挙げるならば、「二重構成」ってのがあるわけですよ。
言えば「灼眼のシャナ」は、坂井君を中心として動く物語であるが、非日常パートが無論戦闘であり、日常パートが恋愛というこの場合。
これもすべると酷いことになるんですが、シャナの場合は吉田さんやらで完全にそれだけで話が作れそうな感じなんですよ。これが成功例。
さらにそれを物語の中でちょっとだけ混ぜていくと、いいマーブル模様が出来るわけです。
つまり下らない日常と、詰め詰めの日常は面白くない。
日常が面白くないと、実に不憫なことに見せ場が面白くても全体的に微妙作品になるわけです。
「展開」が面白いことも勿論必要ですが、そういった「会話」が面白いことも良作の絶対条件。
ここまで言ってて勘違いはないと思いますが「面白い」ってのは「ギャグ」じゃ無いですからね。
そういう面において、学園ファンタジーというのは実に難しい。
どうやっても強制的に日常パートを、それも「学園」という中で描かなければならないからです。
こういう点において恐らく売れたのが富士見ファンタジア文庫「鋼殻のレギオス」だったんじゃないかと。
一見しただけでは「ふぅん、売れるんだこれ」としか思えなさそうな展開ではありますが、勿論これが売れるにも理由があるということです。
これは基本が日常パートで出来ていて、終盤になってくるとその盛り上がりが一気に増していくという作品で、しかもあまり入れるべきではないのではないだろうかと噂される「訓練シーン」が多用される作品でもあるのですが、それでも面白いと感じれるのはその日常が不必要でも無いし、それに加えて魅せてくれるからですね。
こういう展開を書くにおいて、学園ファンタジーで絶対必要なのが
キャラ同士の出来上がった相関図。
無関係無関心なキャラを掛け合わせたって面白いわけが無く、それには恋愛事情とか、恨めしさとか、憧憬とか、色々な感情を間においてキャラの相関図があるわけです。
これが無いと物凄い淡白な日常シーンになってしまう、と。
学園なんですから、そういうのがいっぱいあっていいんですよ。
実際レギオスは恋愛事情はあるし、ヒロインは主人公を妬みと憧れと恨みの視線で見ていますし、他キャラはそれに合わせて色々動いてるわけですよ。
そういった状況が、日常に面白さを生み出すわけです。
単なる幼なじみと親友の集まりで動かすには、間違いなく感情が必要です。
ちょっとやりすぎじゃないかなぁ、くらいがファンタジーはちょうど良い。と、俺は思います。
や、魔法設定とかやりすぎるとカオスになるんで、度合いはわきまえてね。
あのね、キャラはみなさま間違えているようだけど、
個性は「性格」「属性」に出るんじゃなくて「言動」で分けられるんですよ。
つまり「天然」というキャラ設定をしたところで、それに振り回される言動をしていたってダメなんですよ。
「こういう言動をするキャラが欲しい、必要だ」と決めたそのキャラに、二次物として「性格」「属性」がついてくると思ったほうが良い。
すると、物語で「こういう働きをさせたい」という「言動」を設定したキャラ」に「性格」が決定される。
ね?なんか物凄い自然だと思わねぇ?
まあつまりキャラが出来てないとじゃあダメじゃんって結論だけど、そりゃそうっしょ。
つまり、話の作り方的に学園の場合はキャラがダメだとダメダメです。
日常パートにメリハリないとダメですダメダメです。
感想にも書かせていただきましたが
「盛り上げ」のためには、それを盛り上げる「盛り上げ」が必要。
矛盾しているように思えますが、「序盤の盛り上げ」というのはそれがまさに日常パート。どれだけ盛り上がらない場面で読者を読ませるか、これは重要ですよ。
狂気とか異常に頼っている作者が稀にいますが、
それは駄作です。
乙一さんの作品は狂気に満ち溢れた作品が多いですが、どうでしょうか。
爺さんのお勧めする「セブンスルーム」。
片っ端から異常という異常、狂気という狂気で満たされているにも関らず良い作品と思えるのは、あの七つの部屋にいたそれぞれの住民との掛け合いがあったからに違いありません。
「会話」という日常パートのあとに「その人が殺害される」という非日常パート。
魅せる狂気というのはこういう日常を大切に使用している作者なんですよ。
見せ場が盛り上がるのは当然で、見せ場を魅せようとするのは当然の事。ゆえに、見せ場でない場所にどれだけの盛り上がり(面白さ)があるかどうかが、問題。
盛り上がりと言ってしまうと誤解を招きそうですが、言えば、読者のテンションが下がらないこと推奨です。
これがしにくいのが学園であり、日常を日常でしか描けない僕ら素人のミステイクです。
掛け合ってるだけじゃだめなんですよ。そこに何かがあって、読者が面白いと思わないと。
シンデレラ曲線だったかなんだったかありましたよね。盛り上がりの曲線図。
あれだと盛り上がりのタイミングと静かな場所とありますが、それは面白さと比例しませんのでご注意を。
面白さは多少のブレはあっても、常に面白さを維持で、盛り上がりの場所がドワッってなってなきゃいけないんです。
こういう図がありますが、良く見てください。
起承転結の「承」は直線じゃないんですよ!!!!
べつに関係無いですけどね。
まあ学園はこれが出来ないから辛いんですよね。
全体的な展開は上記の図で構わないんですが、
基本が「表→裏→表→裏」の繰り返しというやりにくさがあるのが辛いところ。
だからこそ日常パートを大切にしてほしいと思った、今日この頃、長文申し訳ない。
つか、久しぶりに俺が「作家」だって分かったんじゃね読者さまたち。
最後にコメントレス。つーかここまで妙さん読む気力が出ただろうか・・・。
知識を知恵にかえるやつは、明日か明後日にでもじゃあやりますわ。
つか、ニコニコにうちの中学の人間がいるやもしれない。
「学校の合唱まとめ」で検索してみ。スンナウィルビーダーン入れてるやつがいる。
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