03.12.15:48
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03.24.21:54
なろうサイトの中で俺の名前が知れ渡ってきてる。
勿論悪い意味でwwwww 評価依頼を再開したのは良いが、段々自分の評価が理不尽なんじゃないかと思ってきました。蜻蛉です。 ガルド氏と同じく、評価のタイミングだけ「鬼畜使用」の自分が出てきてしまうのはきっと悪いくせ。つーか作品の基準が最近鬼畜仕様すぎるのかなぁ・・・。 別段悪い作品があるわけじゃない。標準以上の作品ばかりだとは思うのだが、やはり・・・個人的見解を言わせてもらえば?☆4以上は簡単にはあげられないなぁと。 一応自分の感じたことを述べているつもりではあるんだけれど、「サンタの女の子とぬいぐるみ」の件で大分論破された感があるから、評価するときに「果たしてこれは正しいのだろうか」と疑問に思うことが最近多い。 やはり酷評されたことのある人間から言わせてもらえれば、「自分に少なからず『形』を見出している人間は、酷評されるとそれが理不尽に感じることがある」わけだ。 言えば、俺のセルフディストラクションだって「こんな作品性の無いものは見たことがありません」と評価されればその通りだとは思うが、どこか否定的になってしまう。 例によって、「多種多様」という言葉は逃げ道でしかないのだが、それでも「観点」が違うのだからそうせざるをえないわけだ。 しかし、やはり「相手の『形』」と相対したときにふと思うことがある。 自分の評価は理不尽か?と。 実際「サンタ」の件において、自分と相手を交換してみてみれば分かることでもある。 俺はあの作品においては少なからず物語においては「普通以上」を取れる気でいたが、ガルド氏を始めとする他者の意見をかき集めてみたところ、やはり賛否両論。挙句の果てに作品をフルボッコされた始末。 「私が悪かったです」としか言えないような意見も続々。 つまりは、「何が正しいかは読者にあるのではないだろうか」という結論にたどり着くわけなんだが、逆に考えれば「その間違った(固定された)作者としての考え」を依頼の時も他作者に押し付けているのではないだろうか、という気がしないでもない。 まあとは言え、「相手の価値観に立って評価する」などと幻視が出来るわけでもなく、やはりこの方法を貫き通して反論を浴びて成長するしかないんだろうなぁと。つーか大体まだまだ「酷評する」ほどの実力が足りないってことかぁ・・・。 もしくは最近硬く考えすぎなのだろうか・・・。 まさか、悪質な職業病にかかったんじゃ・・・。 いやだあぁぁぁぁぁ!!!せっかく「理論的な人間」から抜け出せたと思ってたのにぃぃぃぃぃぃ!! まあいいや、今度「セルフディストラクション」完結後に、依頼しまくってボコボコにされてくるか。んでもって泣こう(ぇ PR
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誰かが言ってた。
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とりあえず、自分のやりたい様にやればいいのではないでしょうか。悩むのも大事だと思いますし。
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なんか文字にすると胡散臭い感が漂うことを承知で書きますが、
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