11.24.21:57
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02.18.21:43
全ては予定通りに進んでいる。
一点の曇りも無く、用意されたシナリオ通りに現実世界は進んでいる。 それは固定概念であり、誤解であり、真実である。 そう思ったからそうなるためにそうし、今そうなっている。 ならばそれでいい。 何の後悔も後残りも無いかと問われれば、無いとは答えられないかもしれない。 だがそれでいい。 そう、運命があるというならばそれだ。 運命というのはそう決められた未来のことを言うのだろう? ならばそう決まっていたとしか言いようが無い。 理由も理論も原因も結論も無い。 ただそれが、運命だったからだと片付ける。 だからそれでいい。 今、前に進むと言うのならば俺は喜んでそれを見送ろう。 いや、見送る必要など無いのかもしれない。 それ以前にそれは不必要である前に拒否対象であるに違いない。 だがそれでいい。 そうなる運命だったのだろう? あれが運命であったならば、これが運命でないはずがない。 そしてそれは過去になり、追憶に消えていく。 懐古とて既に罰。 ならば振り返る必要などありはしない。 現実と未来を見据え、ただ待ち構える結果へと足を踏み出すのみ。 俺が挑むのは悲劇か喜劇か。 動き出す時計の針は止められても、廻りだした世界の時間は止まらない。 立ち止まっていても時は進み、世界は変わる。 だが止まっていては自分は動かず、世界は変わる。 ならば、出来ることは何なのか。 思考と理論と統計を限界まで搾り出し、今何をすべきか結論を出すがいい。 ―――さぁ、行こう。 と、なんだか書いてみました。 特に意味はありませんが、ある意味今の俺の心情でもあったりなかったりですなw まぁ某友人からこの中にあるある言葉を使え使えって言われていたので、いずれこんな感じに小説に使う予定でありますが何か?(ぇ この文にはある矛盾があります。意味を言うならば 『望んだならば、望むように動けばいい』と『どうしたところで、運命と名付けられるのならばそうする他ない』という点ですね。 運命論というのには賛否両論あるでしょう。 この文がどちらを言っているのかは、正直自分にも分かりません。想像にお任せですね。 俺の小説は時々上記のような哲学的なものを言う所が終盤になるにつれ多くなる予定です。 23話のあれもそうですね。 「春夏秋冬、という言葉は知っているな」 「これは固定概念であり、真実だ。春夏秋冬というように、季節は『春』に始まり『冬』に終わる。だが、『春』が始まる前は『冬』であり、季節に始まりも終わりも本来はないはずだ。春夏秋冬という言葉は語呂の良さで決められたといっても過言では無いだろうな」 「しかし、今物語は『春』から始まろうとしている。『冬』はそのために時が過ぎるのを待ち、季節が巡るのを今か今かと期待している。そして、『春』が巡ったとき、季節は一巡するのだ。『春』『夏』『秋』そしてまた『冬』へとな」 まぁこんなのを書くのが大好きな人間ですのでw もしかしたら上記の奴がそのまんま使われる可能性も否定できないかもw なんか、名言みたいなのがあったらドンドン教えてくださいませませw PR
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デレの数1つですべてが変わる(笑) |
・―――それは ほんとうに
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Re:無題
奈須さんネタはカッコいいですよねぇー。
というか奈須さんが書くことは半分ほど意味不明な俺であったりなかったりなので、結構調べないといけないんですよねw
というか奈須さんが書くことは半分ほど意味不明な俺であったりなかったりなので、結構調べないといけないんですよねw
・にゃん |
Re:無題
それはもはや君の趣味でしかない。
可能性。
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Re:そうねぇ・・・
たまに素晴らしい戯言書いてあるからパクr(ry
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