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鏡に写る我が醜貌 ver.0.11

深海の底では骸骨が嘲笑って、天上の月では兎が餅をついていた――――by蜻蛉
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11.26.07:18

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11.26.22:19

書くことねぇからゲシュタルト(何

まぁ、正直そんなこと言われても何がなんだかという人が多いでしょうってか、大人でもそんなしらねぇか。
えぇっと、今日の題はですね、「ゲシュタルト理論」ってのに焦点を置いてみた。
なんでそんなことに?って思うかもしれんが、案外これについて考えたことは多いはず。ただ「ゲシュタルト」という名称を知らなかっただけさ。

まぁさ、時々こういうことないかなぁ?
例えば、「日記」という言葉を考えていると、「あれ?日記ってなんだっけ?」というまさに有り得ない度合いの度忘れをすること。
なんで日記という名前なのだろう、という事から展開して、知らぬ間に日記というもの自体が理解できなくなること。
あるでしょ?え?ない?んなわけあるかぁ。
まぁ、これを「ゲシュタルト崩壊」って言うんだけど、つまり説明するとこうなる。


物はですな、「物」として認識されるのではなく、それに関連する様々な事項の情報からその「物」を捉えるのだ。
例を述べれば、「日記」というものは「字が書いてあるノート」「日常の出来事が記されているもの」などの情報がその「日記」という言葉に含まれている。
だから人間は日記という言葉を理解できるのである。
つまり、そのもの事態を捉えるのではなく、様々な総合的情報から読み取るのだ。というのがゲシュタルト理論である。

つまり、なぜ例のような度忘れが起きるかというと、そのもの自体を捉えてしまって、情報を認識できていないからだ。
もし、絵でりんごが書いてあるとしよう。
見た瞬間、それはりんごだと分かる。
だが、コレを個別として捉えてしまうのが、ゲシュタルト崩壊。
つまり、絵で書いてあるりんごを「線」「赤」「点の集合」「丸い」などの情報を個々として捉えてしまうことだ。
「線」「丸い」だけでは、それがりんごだということに結論するには無理がある。
すると、当然それが何なのかが分からなくなる。それこそが先ほどの正体なのだ。

だが、こんなことはめったに起きない。その理由もきちんとあるのだ。
例えば、
■□□■□□■□□■
上の四角を見てほしい。
これを見たとき、あなたはどの様な集合とみただろうか。
これは、ほとんどの人が、「白い四角が二つならんで、次に黒い四角がある」「黒い四角の中に、二つ白い四角がある」とのように捉えるだろう。
つまり、
「■」「□□」「■」「□□」「■」というように捉えるのだ。
だが、ゲシュタルト崩壊が起こると、「黒と白の四角が、一定の法則で交互に並んでいる」のように捉えるのだ。
つまり、
「■□」「□■」「■□」「□■」というようになる。
結果的に「■」が二度使われているが、同じ集合として捉えるのには問題は無い。
この差が、起きにくい理由なのだ。
これが、個々として捉えるか、集合として捉えるかの違いだ。

まぁ、このようになっているわけですはい。
これでも分からないという場合は、諦めて(ぇ

それじゃ、この辺でおさらばしましょう。
え?おさらばって、なんだっけ?(オイ
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