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鏡に写る我が醜貌 ver.0.11

深海の底では骸骨が嘲笑って、天上の月では兎が餅をついていた――――by蜻蛉
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11.26.00:27

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03.12.21:16

えと、俺にどうしろと

なんか業務的なところからトラバ来たみたいですけど、ホントどうしろと。
マジ理解出来ないんで、おさらばしてくださいって話です。

あんなん読んでる暇があったら、昨日19歳医学部所属の大学生と話した会話を思い出すほうが面白いってものですわ。

彼の真実論は、何かがおかしい。

ということで始まりました、僕こと蜻蛉です(ぇ

最初になんか立ち聞きみたいに聞いていたんですよ。
ええ、知識の披露みたいに調子乗って女子にぺらぺらと話してましたよ。
そんなにモテたけりゃもっと違うこと話せって感じでしたね。
「議論することが、俺の趣味でもあるから」ってただの馬鹿じゃねぇか。

ということで、趣味の議論のお相手になってあげました。
最初口突っ込んだ時は「何?いきなり入ってきて。まぁいいけど」とかかなり放置気味でしたが、彼の言う真実論があまりに聞いててうざかったので、口論開始。

まず、彼の言う真実とは。途中から聞いていたので、分かる部分だけ。
彼の出した例題。
「君たちは愛や友情ってあると思うか?」

どこのロマンチストだお前は。

と突っ込みたくなるのを抑えて、聞いていました。
女子が「あると思う」と言います。まぁ、女子ですからね。
しかし彼はそれに首を横に振りました。

「それは、社会から植えつけられたものであって、真実ではないと思う」

・・・・・・。

あ、既に反論したいかたが多々いそうな気がしますが、まだ暖かく見守りましょう。

「真実とはね、その人が真実だと思ったものが真実なのさ」

ええ、随分と自慢げに話しちゃってまぁまぁ。
すると女子は「あ、私もそう思う」っておい∑( ̄□ ̄;)

お前もヴァカか∑( ̄□ ̄;)

とまぁ、そこでうぬぼれているところ非常に悪いと思いながら、口を挟む俺。

「あの~、ちょっと反論」
「何?(以下上記された文)」
「それって真実じゃないと思うんですけどー」

俺VS19歳医学部所属大学生(なかなかイケメン)

大学生さんは、ばつ悪そうにどういうことか?と聞いてくる。

「確かに真実だと思うものが真実だっていう、言いたいことは分かるんですけど、それって真実っていうのか非常に悩ましいんですけど」

と、ここからは文的に書かせていただこう。その後も色々と向こうも反論してきたのだがな。

つまり、彼の言う真実論の結果は「真実だと認知したものが、その人にとって真実」ということである。
まぁ表面上聞いてるだけでは確かに女子さんのように正しいと思うだろう。

だが、良く考えろ。
それを果たして真実と呼んで良いのだろうか。

ここで俺が出した例文。通称「りんご例」

りんごというものを当然皆さんはご存知のはずだ。
「赤くて丸い果物」というのが、つまりはりんごの表面的な情報である。まず、これを真実だと仮定する。彼が言うように人が認知したものが真実であるならば、「赤い」りんごが真実である。

だがここで、認知障害らしき人が「りんご」の物体を見たことが無いため「りんご」を「みかん」だと認知したとしよう。
そして、彼の意見では認知したものが真実なので、その認知障害をおっている人にとって「りんご」が「みかん」の形をしているという情報が彼にとっての真実となってしまう。
これは確かにその人にとっては「りんご」は「みかん」だと思い、それを疑いなくやっているのならば一億五千万歩譲って真実だと言えよう。
だが、普通に考えてみろ。
「りんご」が「みかん」なのが真実であるはずがないのだ。


するとここでイケメン大学生は言う。
「それは客観的かつ多数的な情報なだけで、それが必ずしも真実とは言えないんじゃないか」

馬鹿かこいつ。
だったらてめぇの認知云々はなんなんだよ。

と言いたいのを我慢しつつ、それに反論。

確かにそれは一理あると思ってしまった。
そこで俺が考えたのは、「本当の真実」と「人が認知する真実」だ。

ここでまた例を出そう。
「りんご」という物体は先ほど言った通り一般的には「赤い」。
確かにそれは多数の意見に流されるだけの客観的だと認めよう。
まず「りんご」が赤いのではなく、「緑色」だと認知する人間がいるとしよう。
先ほど言うとおり、客観的かつ多数的な意見が必ずしも真実ではないということなので、「緑色」のりんごが真実であってもおかしくはない、と俺も思った。

それは何故か。
「世界の本質的な真実」というものは人には分からないものだと判断したからだ。
実際、そうやって「緑色」に見える人がいる限り、世界観は完全に一つでなくなってしまっている。
つまり「緑色」の世界を持っている人と「赤い」世界を持っている人に分かれるわけだ。
「赤い」世界のほうが多数ではあるが、それが真実だと言える証拠はない。
「緑色」だと認知している人間が、ギフテッドのような天才と仮定した場合、そのものの本質的真実を見破っていると言っても過言では無くなってしまうのだ。
つまり、今まで私たちが見てきた「赤いりんご」の概念が崩されることになる。

そう、これこそが真実なのだ。

今まで話してきたことは、「真実」ではなく「概念」の話をしているのではないかと思った。
これは「人が認知している真実」の形であり、=「概念」なのだと思ったのだ。

真実の定義は「嘘偽り無いこと」である。
だが、万物を対象として「絶対確実」に本当であると言いきれるものがどこにあるだろうか。
りんごの色素のように「緑色」だと見える人間がいる以上、どちらが本物かを判断するのは不可能である。
その人には認知できない不可能の真実が「本当の真実」であり、人に認知出来る適度の真実が「概念」と呼ばれるものではないか、という結論に俺はたどり着いた。



「・・・概念かぁ」

大学生屈服!!

なんか軽く優越感に浸ってしまった自分が痛い痛しいですが、気にせず。
そして彼、一体俺のどこをどうみて間違えたのか、

「これも人生経験の差か」

俺、16ですが何か。

その後何故か軽々しく話しかけられ、色々と話していたという友情物語でした。

まぁ、俺がその手の話に強いのは、以前記事にした「既成概念改竄連鎖的効果」論で証明されているかと思いますが。

最近俺がこんな話を友人にしたら

「お前、頭おかしいんじゃね?」といわれました。
いいえ、きっとあなたにも出来るはずですよ。
物事をいちいち色々考えていけば、必ず面白くなりますからw

哲学マンセー!
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