11.26.23:30
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03.06.12:58
ええ、非常に面白いコメントを頂きました。
>重力と落下を逆に考えた場合、つまり落下した原因を重力に結びつけた場合。例えば何かの罰ゲームで床が抜けて落下するとする。この場合、確かに落下した要因は重力が有る為だが、原因は床が無くなった為となり、落下という現象は床が抜けた事が原因となり、重力と落下の関係は希薄になる。何故なら床が抜けて落ちる時、落ちる原因を即座に「重力が有るせいだ」と考える人間は少ないだろう。 >また床が抜けて落下するという事は多かれ少なかれ高い所から落下する為、当初存在しなかった『落下による物体の故障』が発生する。 >つまり概念改竄連鎖的効果を逆転させる事によって物事の「意味や内容自体」を改竄する事が出来る。 > >と成りませんか?まぁ普通に考えて逆転させるなんて発想はしません、が気になったので。 まぁつまり、これの場合は「因果関係の認識を逆転している」というパターンですね。 言えば「重力によって『落下』という現象が起きる」のではなく、「落下という現象は『重力』によるもの」と、最初の一文は考えていますね。 つまり重力をNとし、落下をRをするならば因果的閉鎖性で言うと、 N→R が本来であり、 R←N こういうことでしょうね。 しかしですね、まず考えて見ましょう。 「例えば、重力関係を出すとその既成概念は『重力は地球の中心を下と位置して、発生している』という概念。 そして、それに因果的に関係するのが『落下』という現象。 『落下』という現象はつまり『重力』に関係する。地球の中心を下とし、そこに向かって物体は引き寄せられていく。その重力の既成概念を改竄することより、『落下』という現象の定義が『地球の中心を下とし、物体が引き寄せられる』という概念が絶対的ではなくなる。 さらに重力加速度などの関係から『落下』という現象があっても『落下による物体の故障』という事実すら改竄することが出来る。 また、重力関係を真逆にすることにより『落下』という概念が『浮遊』という概念へと反転する。 つまり、既成概念とを変更することにより『そのものの因果的閉鎖性』を同時に改竄することになる。 これが概念改竄連鎖的効果である」 これが、俺の考えた『概念改竄連鎖的効果』です。 簡単に言えば、この例文は『重力というものの概念を変えてしまえば、それに応対して因果関係があるものも同時に改竄される』という簡単なことなんです。 言えば、上流の水が汚染されば下流の水も当然汚いといったところです。 そして、それを逆転させるという行為はすなわち『因果関係の先にあるものを改竄することにより、概念すらも変わる』というものが妥当ではないかと。 確かにこれは、『落下の定義』が本来私たちの考えているものと違うものになった場合、それに応対して重力のシステム、というのも改変されてしまう、ということで成り立ちます。 で、コメントを頂いた方の例文。 「例えば何かの罰ゲームで床が抜けて落下するとする。この場合、確かに落下した要因は重力が有る為だが、原因は床が無くなった為となり、落下という現象は床が抜けた事が原因となり、重力と落下の関係は希薄になる。何故なら床が抜けて落ちる時、落ちる原因を即座に「重力が有るせいだ」と考える人間は少ないだろう。 また床が抜けて落下するという事は多かれ少なかれ高い所から落下する為、当初存在しなかった『落下による物体の故障』が発生する」 これは、因果や概念というよりも『意識的』なものだと思います。 つまり、『落下』という現象は本来『重力』によってもたらされるものですが、『床が落ちた』という状況的原因から考えてしまうということです。 つまり、床が落ちたという現象をSとするならば、 N→R 『Nにより、R』が本来。 S→R 『Sにより、R』が意識的。 R←N 『Rは、Nによる』が逆転。 という風になるのではないかと。 前者にあるものを変えてしまうと後者も同時に変わってくるということを踏まえて見ると、それが分かります。 二番目の場合、『床が抜けた』という現象の有無によって『落下』の存在が変わってきます。 そんな感じです。 そして、『床が抜けた』というのは、『重力』にあるような既成概念が存在しません。 なので、改竄は不可能かと思います。 まぁ、何らかの誤解があったのかもしれませんので、一応確認を。 概念改竄連鎖的効果は、非常に申し訳ないのですが『既成概念』のみに対応されるものと考えてください。 つまり『これが、こうであると既に成り立っている概念』です。 既成概念は状況や人間の手によってパターン化もされません。 つまり、『重力』は『地球の中心に向かって物体が引き寄せられる』という既成概念を持っていて、それはもうどうにもできませんし、最初から決まっています。 また『りんご』の既成概念を考えて見ましょう。 りんごは確かに形、色、味とも色々ですがこの既成概念はそんなものではなく『果物』という概念です。 果物というものは、何らかの養分となりうることが出来ますし、自らの受粉云々にも役立ちます。 つまり、 果物である→土や生物の養分となる →匂いにさそわれた鳥や虫が、受粉を手伝う といった因果的効果が現れるのです。 しかし、これを改竄してしまうと、 果物ではない他のもの→養分とならない →受粉が第三者により手伝われない ことになります。 これが、概念改竄連鎖的効果です。 もしかしたら『既成概念改竄連鎖的効果』に直したほうがいいかもしれませんねw と、ここで俺も色々と考えなおさなければならない部分が出てきました。 それは、『概念』というものは、直接物体が持つものではなく、『人がそう認識している』ということ。 つまり『既成概念の改竄』は=人の認識を変える、という行為に繋がります。 すると、先ほどの『落下』という現象が『床が抜けた』という現象が原因となっているも納得できます。 これは改竄云々の前の問題ですが、確かに『落下』という現象を直接『重力』と結びつける人間はそういないでしょう。 『落下』は『下に落ちる』ということです。 まんまの意味ですが、そう認識する人が多いでしょう。 つまり俺が考えたのは、概念が人の認識するそのものの前情報であるならば、その前情報が他の人とは異なる認識を持っていた人の概念はどうなるのか、ということです。 上記のように、「重力」ではなく「下に落ちる」と認識していた場合、重力の概念を改竄することによって、果たして本当に『落下』という現象が変わるのだろうか、ということです。 ファンタジー要素で使っておりますので、どうしようもありませんが。 分からない人のために説明するとこうなります。 『概念』というのは、物体にあるものではなく、人の認識下にあるものです。 ファンタジー要素なので、その『概念』を変えると現象そのものが変わります(これは本来有り得ない)。 しかし、その人にとっての『概念』が他人と違う場合、どうなるのか。 先ほどのりんごを例文にとるとこうなります。 りんご=果物です。これが既成概念です。 そして、極端に言ってしまえばりんご=野菜と認識していた人がいたとしましょう。 それは、本来の果物という概念を変えたところでその人には効果がないのではないか、ということを言いたいわけです。 まぁ、ファンタジーなので、『意識』ではなく、『物体と現象』が概念を持っていることにすればなんら問題は無いんですがね(ぇ え?そんなの卑怯だって? そこは妥協(ry PR
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