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鏡に写る我が醜貌 ver.0.11

深海の底では骸骨が嘲笑って、天上の月では兎が餅をついていた――――by蜻蛉
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04.25.15:38

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08.22.20:55

境界線の輪郭・説明及び反省

実はこっそり作家でごはんのほうに晒したのですが、二件ほど評価いただきました。

それをふまえ、なろうで貰ったものも加えて反省会をば。


とりあえずその前に、「境界線の輪郭」の作品がどのような物語だったのか、理解に至るまでいっていない人がいそうなので説明を。


全体的には、自殺をしようとした少女が男の屋敷に出向き、「楽に死ねる方法」を求めたが、迷いが出て一日の猶予を貰って・・・という内容になります。

第二シーン、少女が猶予をもらった次の日~少女が死ぬまでに『どんな出来事があって、少女は死ぬ決意をしたのか』が、分かっている人が少ないと思いますので、ここで説明を。

少女が見た「境界線」というのは、名前の通りの「境界線」ではありません。そんな抽象的な話にはしていません。でなければ自信作とか言いません。
少女が見た「境界線」を推理するにおいての伏線は以下の通り。


・「今だから言えることなのかもしれませんが、私はきっと帰れなかったんじゃないかと思います」
「それはどうして?」
「『見えた』からですよ。いいえ、見てしまった、とも言えるかもしれません」

・少女の視線はただ一点に集中される。森の奥、緑より黒のほうが印象的な世界。

・「惜しかった。少女の『遺体』は森の出口付近にあった。あと数十分、それだけでも耐える力があったのならば辿り着けただろうに」

・「この身体の震えの抑え方を、知った気がする」
「ほう、それは?」
「変えようの無い事実を、見てしまうことだ」


少女が何を見たのかは、ここから想像するしかありません。

その前に、少女がどのような存在だったのかを理解する必要があります。

黒住が最終シーンでいったように、少女は「境界線を彷徨うもの」として、つまり「魂の存在」=「幽霊」となっています。霊体が男の屋敷に辿り着き、男と話していたという内容になります。
これをふまえて、上記の伏線を考えて、少女の見た境界線は何かと考え、「少女が見たのは自身の死体」という結論に陥ってくれれば幸いです。

変えようのない事実→死体
森の出口付近の死体 少女が第二シーン森の入り口で何かを見ていた描写→死体を見ていた
「見てしまった」→自発的に見れるものではない


すると、最終シーンで、男が猶予時間に何をしていたのかが分かります。

彼は最後、蜘蛛のドアを開けて自分の死体を見た、という結論に至ります。つまり、男も幽霊だった、と。


このどんでんがえしに自信があって、自信作としてわけですが、以下、それをふまえた反省会。



文章においてはどうしようもないので、主に内容の反省会。

ごはんで貰った批評を少し。

主人公と少女や後に登場する“黒住”なる人物との、“死”に関する一連の問答から垣間見える作者様の生死観に「う~む」と唸らされるほど読み応えを感じたかというと、そうでもない。また、主人公によって明かされる忌まわしい過去=終盤のどんでん返しに意表を突かれたか、と訊かれれば、やっぱりそうでもない。これつまり、本編最大のセールスポイントが絞り切れていない、ということ。

これにおいては、かなり痛かったです。
何がって、「どんでんがえし」に俺自身が着目しすぎたせいで、「テーマ至上主義」の小説が、変にエンターテイメント性を含み、執筆するにおいて「持論展開」の練りが未熟になったことと、「どんでんがえし」のつじつま合わせのために、そもそも用意していたテーマが弱くなった、もしくは無くなってしまったこと。
言われるまで気付きませんでしたが、言われて一番痛かったです。さすがごはん。


あとやっぱりこういう作品は主役に感情移入してなんぼといいますか、例えば同情や興味、または反発でも、読み手が少女に対し強い感情を抱いてこそ成り立つものだと思うのですが、しかし少女自身が背負っている具体的な背景が見えないため、なかなかそれが出来ませんでした(最初の契約書ではざっと過ぎますし)。
半分以上くらいまできて食事のシーン、ようやくいじめなどの事情がちらっと明かされますが、それでしたらもうちょっと早めから、ふとした回想ででも思い返してくれても良かったような気がしました。

読者は、必ず執筆者の「適当さ」をついてくると、凶悪なまでに実感した瞬間。
実は、少女が契約書を書いたシーンでは、長くの間「」で内容を書こうとしていた時期がありました。しかし、序盤でそれを長々と語ってしまうのはどうかと思って、その部分を消したのが、この批評に繋がったわけです。果たしてどっちが正しいかは自分には判断できませんが、確かに、同情や反発を覚えさせたいのならばもっと少女について語るべきだった。「理論展開」すらも出来ていないのに、その「出来ていない理論展開」に食われて設定の開示の仕方を間違えたとしか言いようが無い。難しいです。


なんというか、実はこの手の作品は自分に合わないんじゃないか?と思わなくもない。

直接的に伝えようとする技法があまりに前面に出てくるから、重いんですよね、文章にせよ話にせよ。

うーん、しかしよく考えてみると、今回の「境界線の輪郭」と「フィスト」は、同じ語り系小説ではあるけれど、三人称と一人称という違いを除いてもかなり違う気がする。
フィストはエンタメ的な意味で毒々しさを狙った面があるに対して、境界線はかなり直情的に自分のいいたいことを言おうとしている(失敗しているが)。同じ理論展開ゲーでも、「エンタメ」という要素を少しでも取り入れただけで、何かが変わってくるような気配がする。

一応「どんでんがえし」というエンタメ性を入れたことは入れたが、どうにもその辺りが「噛合わなかった」感が否めない。決して「駄作」的な出来ではなかったと自負出来るが、その「駄作」じゃなかった要素要素が噛合わなかったせいで、世間評価は「低」にもっていかれたような気がする。

なんか、穴だらけという意味じゃなくて、すっかすかなんだよね。一本一本は硬い歯なのに、すきっぱのせいで不便になっちゃうような感じ。見ていて全然綺麗じゃない。歯の一本一本がよく磨かれていても、それじゃあ評価できないよって感じがする。



あと思ったこと。

キャラクター設定を練りこむことの必要性を感じてきた。「持論」個性じゃなくて、もっと特殊な何かが必要だと感じてきました。言えば、ファンタジー的な何かの要素。「現実」から乖離した、小説らしい設定。

そろそろ現実主義はやめようかしら。なんだか楽しくないわ。


ちょっとフィストと同時にラブコメでも書こうかな、とか思ってます。ふっちーもなんか頑張ってることだし、俺も久々にネコミミの頃の初心に帰りたいわ。あと、そろそろ褒められたい(オイ


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