忍者ブログ

鏡に写る我が醜貌 ver.0.11

深海の底では骸骨が嘲笑って、天上の月では兎が餅をついていた――――by蜻蛉
07 2017/08 1 2 3 4 56 7 8 9 10 11 1213 14 15 16 17 18 1920 21 22 23 24 25 2627 28 29 30 31 09

08.20.20:32

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

03.17.02:10

犠牲ってつきものでいいのだろうか

最近本気で死のうかと一瞬悩んだことがある、僕こと蜻蛉です(ぇ

いえ、たまにそういう日もあります。若いので(何

世界は対価というシステムが出来ている。
何かを手に入れるためには、何かを失わなければならない。
当然のことだが、これがあまりに現実的で辛い・・・。

最近、何故自分の自己防衛のためにしたことが人を傷つけてしまったのか、悩むことが多々ある。
いや、結果的にそうなることは予想できていたし、そうなってしまった後の処理がクソだったから今でもこうして悩むことになるとも分かっている。
だが、今更どうしろと?という話だ。

優先順位というものが、必ず存在するだろう。
人との係わり合いの仲でも、それは必ずあるだろう。
親、友達、恋人、自分・・・。
何を一番と考えるだろうか?

これを、たまに友達に聞いてみることがある。
すると大体の友達はこう答えた。
『恋人』と。
まれに『友人』と答える人もいたし、『自分』と答える人もいた。
そして俺が『自分』派だと言うと、友達はそれはおかしいと言い始めた。
大切な人こそが、一番のものなのだと、彼は言う。
ならば俺は言おう。

それでも俺は、自分が大切だと。

確かに時に失いたくない人物はいる。それは確かだし、そのひとが死ぬくらいなら俺が死ぬと思うときだってある。
だが、俺は現実主義者で、すげぇクソな男だ。
こう、考えていた。

『死んでしまっては、自分を失ってしまっては元も子もない。自分を失うくらいなら、他人を放っておくことも俺には出来るだろう』と。

大切な人のために自分を捧げるのはとてもカッコいいし、名誉なことだと思う。
だがそれも、限度が過ぎれば俺は出来ない。
自分が破滅するくらいなら、多少迷惑かけても相手を破滅させる。
そんなクソ人間だ。

『自分の幸せと他人の幸せ』を天秤にかけたら、俺は他人の幸せを選ぶだろう。
これは、他の人となんら変わりは無い。
だが、『自分の破滅と他人の破滅』を天秤にかけたら、俺は他人の破滅を選ぶ。
これは、純粋な人たちには分からないかもしれない。

俺は、手に入れることが出来なくてもいい。だけど、失うことは嫌だ。
そんな人間なのだ。

他人のために、自分の幸せを捧げる?馬鹿な。
自分の幸せ無くして何故相手の幸せがあろう。
相手の幸せ無くして何故自分の幸せがあろう。
だが、これはあまりに難しい均衡である。
だから俺は思った。
どちらかが犠牲になるくらいなら、どちらも苦しめばいいと。
その先に何かがあるのなら、それを目指そう。
その先に何も無いのであるなら、時が満ちるのを待とう。
だから今、俺たちは苦しまなければならないのかもしれない。

PR

無題

本当にそうです。
自分が幸せでなければ、人を幸せにすることなんて出来ないと思います。
でも、本当に大切にしたいと思う人が出来れば、考え方は変わるかもしれませんね。

  • 2007年03月17日土
  • 通行人
  • 編集
Re:無題
全くですな。
でも恐らく、こんな性格に生まれてきてしまった&自分のあるトラウマから本当に人を大切に思うことが俺には出来ないと思います。
非常に不便ですけど、そんなもんです
2007/03/17 13:13

言うなれ

俺は「時」と「場合」と「個人差」だと思うな。
・・・だがこういうのって当然のように悩むよな。
割り切るならば「個人差」と考えるべきかと

Re:言うなれ
まぁ個人差と割り切ってしまったらならば、ほぼ全てのものが対象になるさ。
とりあえず俺の場合はこうだったってことだ。
2007/03/17 13:14
URL
FONT COLOR
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
PASS

TRACKBACK

TRACKBACK-URL