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鏡に写る我が醜貌 ver.0.11

深海の底では骸骨が嘲笑って、天上の月では兎が餅をついていた――――by蜻蛉
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07.05.16:06

村上春樹・ノルウェイの森&恋愛小説考察

最近文学作品の読みすぎで、EYE'sに対する更新意欲が薄れつつある蜻蛉です。

いささか困ってます。


ということで、今回は村上春樹の作品を読んでました。

「ノルウェイの森」

別に題名に惹かれたわけではなく、何だっけあれ、見出し?か何かにかかれていた「限りない再生と喪失を描く等身大の恋愛小説」だったか、そんな感じのに惹かれて読書。

村上春樹といえば、相当現在では有名な作家さん。
のくせして俺は一度も読んだ事が無かった。

思えば、現代文の授業の例題に村上春樹のコーヒーなんたらっていう短編を読んだのが最初だった。その頃は別に凄いともなんとも思わなかったが、やはり有名な点、何か興味はありましたな。

チャットをやっていた時代、小説は何がすきか?と聞いたところ、結構村上春樹、と帰ってきたケースが多かったような気がする。特に女性。

確かに漁ってみれば、結構恋愛小説ばかり書いているように見える。なんとか賞も取ったらしく、やはり実力はお墨付きだったようだ。


私こと蜻蛉は、「非恋愛体質」を堂々と掲げている作者であり、恋愛ちっくならぬノロケっぷりを書こうとすると、爆笑してしまう節がある。無論、嘲笑の意味合いで。
そんな俺だからこそ、読むことに関しては真剣だった。

しかし、思い返してみれば文庫本で恋愛小説を読んだのは初めてなんじゃないかと思う。
小説家になろうサイトの中では相当読んできたが、その錯覚かもしれない。

「恋空」や「世界の中心で愛を叫ぶ」などは当然読んだが、前者はどうでもいいし、後者は恋愛小説と分類するには惜しい作品である。


ここから少し、「ノルウェイの森」に触れるが、その前に俺の前情報。

俺は偏見的に「病気ネタ」が嫌いである。
主に「死ネタ」とも呼ばれるが、とにかく登場人物を死亡させて感動を誘う小説が大嫌いである。
確かに読んでいて涙は流すし、悲しいとも思うのだが、読み終わった後冷静に考えると、腹が立ってくるのだ。

多少文章能力は必要でも、そこにあった展開さえきちんとしていれば泣けるのだ。
それに、人の死というのをテーマにするのはいいが、それでいてそれに対する何かが無ければそれはもう侮辱としか捉えられない。

本当に偏見で申し訳ないが、病気ネタを書いている方には厳重注意を呼びかけたい。


さて、この「ノルウェイの森」だが、これは確かにれっきとした恋愛小説であった。

ただし、「普通」ではない。もう、登場人物のありとあらゆる場面が普通ではない。
主人公は無頓着だし、ヒロインは半ば精神病だし、その他もろもろ登場人物たちはどこか曲がっている。もう異常のオンパレードなのだ。

しかし、この作品の語る様々なテーマは非常に素晴らしい。その恋愛体験の中で様々な人物と出会い、主人公がそれに対してまたも様々な意見を持っている。

そして何よりこれも偏見っぽくて悪いが、この作品の「死」に対するものが俺は好きだ。

ヒロインは最終的に精神的に耐え難いものになり、自殺してしまうのだが、他にも死ぬ人物は多数出てくる。総勢して四人くらいは作中で死んだのではないか。

だが、それの全てがあっさりしていた。

次のページを読んだら「~~が死んだのは」のように唐突に亡くなる。
感動も何も無い。あまりにあっさりしすぎていた。

だが、その死を無論ぞんざいには扱わない。それに対する主人公の心情が書かれ、とにかく面白いのだ。悲しいけれど・・・のような、たった一言では終わらない色々なものが語られているのだ。


俺は、小説家になろうのサイトの恋愛小説の作者さまたちの一部に考え直して欲しい。

「本当の恋愛小説とは、恋愛小説にあるにも関わらず、恋愛と表現するには足りない小説」

つまり、恋愛小説の多くは最低ランクから言えば

「青い青春時代のようなイチャイチャに、ちょっとしたテーマを加えたもの」

「恋愛成就までの様々な苦悩と揺れを書いたもの」

「別れや死を組み込ませ、切ない仕上げにしたもの」

「壮大な観点から恋愛を見つめ、等身大の恋愛を描いたもの」

「恋愛という概念を超越したほかのテーマを組み込み、ひたすらにキャラクターの心情を追ったもの」

「もはや恋愛小説と呼べない恋愛小説」


つまり、最強の恋愛小説というのは「恋愛をする小説」ではなく、「恋愛という舞台の中で、何かを語る小説」なのである。

誤解しないで欲しい。だからと言って、無理矢理とってつけたように「家庭の事情」「精神病」「別れや死」を加えていい訳ではない。
本当にそういった観点を持っている人物だけが書ける、黄金の読み物なのだ。

そう考えると、恋愛小説というものがいかに難しいかが理解できる。
俺を感動の底にさそった「恋空」でさえ、段階で言えば「別れや死を組み込ませた切ない仕上げのもの」程度のものでしかないのだ。

映画化される作品というのは、確かな感動と面白さを持ち合わせているのだが、それはまさに「それだから」だ。
本当に面白い作品というのは、映画化など出来ないのだ。何故なら、そこに盛り込まれたテーマを映像化など出来るはずが無いのだから。
そういった面白さが、この「ノルウェイの森」にはあった。

様々なテーマが組み込まれたこの作品の中で、ある一つの言葉が俺の頭には残っている。正直他にもいっぱいあったのだけれども、どうしてもこれが離れない。

「二流のマッチ棒になるくらいなら、一流のマッチ箱のほうがいい」

最近ミステリーやホラーばかり読んでいた俺に、最高のひと時をありがとうとお礼を言いたいくらいだ。
これが純文学なのだと、改めて知った日であった。
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