最近ニュースでよく取り上げられるようになった事件。
「いじめによる自殺」
ついには政府までもが真面目に動き出すこととなったこの事件は、もう日本のかかえる大問題として受けとってもいいだろう。
政府も頑張って対策を練っていると思うが、あなたたちの運動は残念ながら「撲滅」ではなく「ちょっと減少」である。
いじめに対する俺的な意見を書かせていただこう。
「いじめは永久不滅である」
先に結果論を言うが、俺はそう思う。行動しないよかは行動したほうがいいが、結果的にそれがなくなることはまず絶対にない、ということ。
いじめというのは、「いじめる側」と「いじめられる側」がいるわけだが、これが存在する理由というのが間違いなくあるのだ。
もう長々と語るのは面倒なので、スパスパと進むけど、この二つが存在する原因は、間違いなく「いじめられる側」にあると思うわけだ。
原因、と言ってしまうとかわいそうかもしれないが、そうだと思う。確かに彼らは皆、心の弱い人間なのだ。
やり返すことも出来なければ、誰かに助けを求めることも出来ない。
だからといって、自分で解決の糸口を見つけられるわけでもなく、そのままの関係が続き、ついに耐え切れなくなったときに有り得ない行動に出てしまうのだ。
つまり自殺が起こる原因はこうであったというわけだ。
それを少しでも止めるため、カウンセリングという人が学校にいる場合が多い。
彼らの存在は確かに自殺などを食い止める手段として非常に有効であり、心強い限りだ。
だが、考えて欲しい。
自殺を考えている人間が、自らカウンセリングを受けに行くことなんてのは、めったにないような気がするからだ。良く行くならば、自殺の数が増えるわけが無い。
だからといって、カウンセリングの先生に連れて来い、といってもそれも難しい話であろう。
もし、そういう状況にある人が分かったとしても、嫌々連れて行くわけにもいかないし、まずその状況に立たされている人間を探すのが有り得ないくらい難しいと思う。
彼らは自分の中にしまい込むタイプなのだ。
たとえ、親友が相手でもそれを話すことは滅多にない。
形として現れるのは、不登校になるとか、急に付き合いが悪くなったりとか、酷い場面に入ってからだ。
そうなる前に食い止めれば最高なのだが、かなり難しいと思う。
分かるチャンスは限られてくると思う。
学校などで、一番その人と接する機会が多いのは、「二者面談」。このタイミングで、彼らの闇を見つけ出せると一番いいと思うのだが・・・・厳しいか。
漫画などでは、唯一無二の親友は気づいてくれるパターンが多いが、現実的には不可能に近い。
ヒントも無しで、第六感のみで問題に答えろといっているのと同じくらいだ。
そうなる前に食い止める方法というのはどれもこれも厳しい。
だから思うのだ。そうなる前に食い止めるのは、彼ら自身なのだと。
彼らが変わってくれなければ、誰も気づかないし、誰も助けられない。
でも、彼らが変われば少しはなんとかなるかもしれないのだ。
いじめられている人は、世界をあまりに過小評価しすぎていると思うわけだ。
案外、寛大な心を持っている人間は多いと思う。
ちょっと勇気を出して、カウンセリングの先生なんかに話しかけてみるといい。
それだけでも、十分違うと思うから。
さて、ここからは「酷い事態に入った後の攻略法」といったところか。
もし食い止められなかった場合。いじめが発足して、事件まで発展した場合だ。
最近ラジオで聞いたのだが、いじめた人は何ヶ月か学校に来れなくなるらしい。
いじめた人が学校に来なくなったら、はたしていじめられていた人間は学校に来れるのだろうか?
確かにいるよりはいなくなったほうが来やすくはなるとおもうが、あまりに蛇足な努力だと思う。
いじめられた人間というのは、たとえいじめた人がいなくなったとしても、恐らく学校という場所に自分の居場所を見つけられないパターンが多いような気がする。
いじめた人間には良い反省材料になるとは思うが、なんかそれも一時的なようなきがする。
あと、この政策でもうひとつ問題がある。
今日ヤフーのニュース欄でやっていたが「いじってもいじめ」という項目があった。
ちょっといじっただけ、自分から見ればそうでも相手から見たらかなりのダメージを負った。なんてパターンは多々存在する。
これは、一言にいじった人間を攻めることは出来ない。
人間の価値観が違うように、いじられたときにどう思うかなんて千差万別だ。
いや、二パターンしかないけどね。
だが、それもいじった人間を学校にこさせない、なんてしてしまったらどうだろうか?
それこそ、学校においての人間関係の冷却化に繋がりかねない。
人をいじると学校にこれなくなる、という恐怖感に怯えて、人と接しなければならないのだ。
こんな閉塞的な生活は無い。学校という場所は、確かに勉強するところであるが、一番は友達と接するためなのだ。
それをここまで規制してしまうと、非常に厳しい事態になる、と思うわけだ。
それに、こんな事態も想定できる。
本当にちょっといじっただけなのに、相手はいじめられたと宣告し、学校にこれなくなってしまう。こんな理不尽んな話は無い。
ちょっといじったという事実がたとえ判明していたとしても、いじめられていた本人がいじめられたと思えば、それは立派ないじめになりかねないのだ。
人の強さは人によって違う。
政府が安易に手を出して、規制を作ってはいけないと思うわけだ。
この解決策はただ一つしかない。
「周りの人が、接してあげる」しかないのだ。
親が、先生が、友達が、彼らを助けてあげなくて誰が助ける?政府か?違う、政府はバックアップ程度でいいのだ。
政府がうかつに手を出すと、上記のような事態になりかねないのだから。
こう思えば、いかに日本が冷たいのかが分かってくるかもしれない。
確かにいじめられている人間を助けることは、その標的が自分にも回ってくるかもしれない恐怖に打ち勝たなければならない。
だが、そんなことを言ってしまっては、元も子もないだろう。助けられる人はあなたがたしかいないのだから。
このように結果を出すと、やはり「いじめは永久不滅」と言う事が出来ると思いませんか?
人に助けを求めることをしない。
分かっていても、自分の身を案じて助けない。
こんな人間がはびこる限り、いじめはなくなりません。
彼らを救うのは、他の誰でもないあなた。
そう心に刻んでくれれば、少しはましになるのではないのでしょうか。
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